2021.08.28

お城へいざ参ろう!   調布三鷹地域にお城があった 深大寺城 江戸と小田原をにらみつづけた城

 

 

鶴若まる
鶴若まる

みなさん、こんにちは。

今回のお城へいざ参ろう!は前回に引き続き「深大寺城」編です!

 

前編では、主に深大寺城の歴史と第2郭について紹介しましたので、後編では主郭と「再興前の深大寺城」について取り上げたいと思います!

 

 

 

櫓台の役割

 

➃ここには当時「櫓台」があったと考えられています。

↑第2郭の堀側からの写真。今は木が生い茂っているため、高台になっているのがわかりにくいですが、よく見てもらうと山のようになっています!

 

この櫓台は、南側と東側の両方をよく見通せる場所にあります。
前編で「後北条氏との攻防戦において重要な場所だった」と紹介しましたが、まさに南の多摩川方面と東の江戸城方面をよく見ることができる位置に櫓台がつくられています。

 

鶴若まる
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江戸城を取り返すために攻める場合でも、多摩川側からの後北条氏の進軍から守る場合でも、どちらでも周囲の状況を確認できるようにしたということではないでしょうか。

 

また、大きく出っ張った形になっていることで、主郭の西側の堀を超えようとする敵と、土橋に侵入してくる敵に対して狙撃することができます!
城内の守りという面でも、限られた数の弓矢を効果的に運用できるような位置に築いたようです。

 

虎口と腰郭

 

⑤土塁が途切れて間(溝)がありますが、これはそれぞれの郭の出入口で「虎口(こぐち)」といいます。

↑北側虎口(写真は主郭から第2郭側を見たもの)

 

↑南側虎口

 

主郭には2ヵ所の虎口があったようで、土橋を渡り2郭から主郭に入る部分(北側虎口)と、主郭の奥(南側虎口)にありました。北側虎口は、幅約3mで両脇には高さ2mの土塁があります。

 

⑥土橋を渡ってすぐの左側に「腰郭(こしぐるわ)」に繋がる下り坂があります。

坂を下った主郭の5m程下に位置したところに、南北約60m・東西の幅が約18mの平坦な場所があり、 これを「腰郭」といいます。

 

鶴若まる
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「腰郭」は、大きな郭から一段下がったところにつくられた平坦地のことを指しています!

 

腰郭があることで、斜面をよじ登ってきた敵が一度必ず身をさらすことになるため、上にある郭から敵を狙いやすくなります。

また、もとはなだらかな斜面だったようですが、斜面を削って腰郭をつくることで、急斜面(切岸)ができます。腰郭をつくることで、敵が斜面を簡単に登れないようにしたようです。

ちなみに…腰郭と南側虎口は「犬走り」と呼ばれる細い通路で繋がっています。
南側の斜面の土塁の一番上から3m程下の部分に幅70㎝の段がつくられており、この犬走りを通れば腰郭から南側虎口に入れます!

 

「再興前の城」の発見!

 

前編で「深大寺城は昔あった城を再興したもの」と紹介しましたが、この再興前の城の存在は、史料面と考古学面それぞれで証明されています!

☆史料面

扇谷上杉氏(当主:定正)が家臣の篠窪氏に出した書状のなかに、「9月13日の小沢原の戦いに勝利し、定正は深大寺の軍勢などの働きに満足している」といった記載があります。書状には年の記載がありませんが、書状を出した扇谷上杉定正の没年や書状の内容から、1490年前後のものと推測されています。また、「深大寺の軍勢の活躍は初めてのことではない」という記載もあり、それ以前から深大寺城にいた軍勢が活躍していたとも考えられています(1)。史料面からは、この1490年前後にあった城を再興したと考えられています!

 

☆考古学面

第2郭の発掘調査の際、再興前の城の堀の跡が見つかりました!(最初の地図の赤線: 『東京都調布市深大寺城跡 調布市埋蔵文化財調査報告書』をもとに記載)

再興後の堀と比べると、何度も折れ曲がった堀となっており、再興時とは違った考えのもとつくられたようです。そして、堀は一気に埋め戻されたようで、一部は新しく城を築く際に再利用されました。

↑再興前の城の堀があった辺り(奥に見えている土塁は復元されたもの)

堀は経年によって自然に埋まった層が少ないため、再興した時期とかけ離れてはおらず、また、出土した遺物(特に日常品であったもの)が15世紀から16世紀初期のものであることから、考古学的には、再興前の城は1500年前後の時期にあったとみられています。

 

鶴若まる
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立地の良さと一部再利用も可能(早く築城できる)ということから、扇谷上杉氏は40~50年程前に使っていた城をつくり直して、後北条氏に対抗しようとしたというところでしょうか。

 

前後編で紹介してきた深大寺城、いかがでしたか?

第3郭などまだまだ紹介できていない部分はありますが、城が築かれた背景や構造など、このブログを読んでくださっている方々に知ってもらえたら嬉しいです!また、今回は深大寺城の様子を動画にしましたので、よろしければそちらもご覧ください!

 

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旅の最後は深大寺へ!

 

せっかく深大寺の近くに来たので、深大寺を参拝しましょう!

深大寺は733年に創建された長い歴史を持つお寺です。深大寺にある飛鳥時代後期(7世紀後半~8世紀初頭)につくられた釈迦如来像は、国宝に指定されています。

本堂の前で祈願した後、おみくじを引いてみると…「吉」でした!このおみくじは昔の言葉で書かれていて、慣れていないと読むのに少し時間がかかりますが、読んでみると「吉であるものの、慢心すると災いが起きるため、謙虚であるように」と書かれていました。(謙虚さを忘れないようにします…)

 

深大寺のおみくじは古来のままのため「凶」が多いものの、「凶」は「吉」に好転する力を秘めていると考えられています。日本の「おみくじ」の創始者は元三大師(がんざんだいし)という僧で、深大寺には元三大師の2m近い巨像があります。深大寺は屈指の元三大師寺院で、そこで「おみくじ」を引くことは意味があるそうです!ぜひ、深大寺に行った際にはおみくじを引いてみてください!

 

最後に1枚!私が水生植物園に行ったときは「花菖蒲」がきれいに咲いていました。

 

 

参考

『東京都調布市深大寺城跡 調布市埋蔵文化財調査報告書』 調布市教育委員会 2007年

『日本城郭大系第5巻』 新人物往来社 1979年

『東京都の中世城館主要城館編』 東京都教育委員会 2006年

西股総生 『首都圏発戦国の城の歩き方』 ベストセラーズ 2017年

西股総生 『土の城指南』 学研パブリッシング 2014年

深大寺 「歴史と文化財」 https://www.jindaiji.or.jp/ (参照:2021年8月14日)

城びと 「ビギナー女子の山城歩き STEP5【深大寺城の弐】築城の理由は地形と歴史から読みとける」 https://shirobito.jp/article/387 (参照:2021年8月14日)

 

(1)竹井英文「戦国前期東国の城郭に関する一考察-深大寺城を中心に-」 『一橋研究』 一橋研究編集委員会 2009年

 

 

 

 

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Writerこの記事をかいた人

鶴若まる

鶴若まる

BMW所属の学芸事務員、歴史学科を専攻し三度のフラペチーノより城郭が好きという強者。気になるものは必ず見届ける行動力を持つ。大好きな城は小谷城とのコメントからもうかがえるように,もはや後戻りできない戦国山城女子

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