2026.04.29
お城へいざ参ろう! 後北条氏の築城術が詰まった城 山中城前編
みなさん、こんにちは!
前回の第7城は、後北条氏領国の西側にある主要城郭「足柄城」でした。
今回のお城へいざ参ろう!は足柄城が落城するきっかけにもなった「山中城」編です。それでは参りましょう!
山中城は静岡県三島市にある後北条氏のお城で、静岡県と神奈川県の境にある箱根山の西麓の標高約580mに築かれています。城は丘陵にあり、東から南側にかけては来光川によって形成された急峻なV字状の谷で、西側は山田川によって複雑な谷の地形となっており、要害の地に築かれていました。
豊臣との戦いに備えた城
山中城が築城された年代は明らかではありませんが、武田信玄と息子勝頼の事績や合戦について書かれた『甲陽軍鑑』には、1569年6月2日に信玄が甲府を出発して韮山城と山中城を攻撃したという記述があります。1569年には後北条氏の城として存在していたようで、1567年~1569年頃に後北条氏・武田氏・今川氏の三国同盟が崩壊するなかで築かれたと考えられています。
1568年12月の信玄による駿河侵攻をきっかけに、1569年2月~4月には足柄城の普請へ石切職人が派遣されました。1569年10月には津久井城近くで起きた三増峠の戦いで後北条氏の軍勢が総崩れになると、11月には津久井城などの修繕が行われました。この時期、後北条氏領国の西側では武田氏との戦いにより、城の普請が各地で行われていたことがわかります。
ここからしばらく山中城に関する記録が見られませんが、豊臣秀吉との戦いのなかで山中城は重要な城として登場することになります。
*1586年10月 徳川家康が大坂へ向かい正式に豊臣秀吉に従う
*1587年5月 秀吉が九州を平定する
→家康が秀吉に従い、九州も平定されたことで、秀吉の領国下に入っていないのは関東と奥羽(東北地方)のみとなりました。
*1587年11月8日 後北条氏が桑原(静岡県函南市)の百姓に山中城の普請を命じる
→この文書では、松田康長という武将が山中城に配置されていたことがわかります。康長は1537年生まれ、康の字は北条氏康から与えられたと考えられています。氏康・氏政・氏直と長きに渡って仕える家臣である康長が、この段階で山中城に配置されていることから、後北条氏が西側防備を強く意識していたと考えられます。
10月には鶴岡八幡宮が足柄城普請役の動員命令に対して訴えを起こしており、秀吉との戦いを想定してこの時期に後北条氏が各城の普請をしていたことがわかります。
*1589年11月24日 秀吉が氏直に対して宣戦布告状を送る
→一時秀吉との和睦も図られていましたが、氏政が上洛せず勝手に領土拡張をしているとして秀吉が最後通告をし、後北条氏は秀吉との戦いに向かうことになります。
*1589年12月7日 武具調達の陣触れを発し、山中城の修築を開始する
→城の縄張りを修繕し、堀を掘り、城の南西に岱崎出丸の増築を始めました。しかし、岱崎出丸が未完成のまま戦いに突入していきます。
*玉縄城主の北条氏勝が援軍として山中城に派遣され、山中城の守備隊は4000人を超える
→小机城主の氏光が足柄城に派遣されたように、開戦が近づくと西側の主要な城であった山中城にも後北条一族が派遣されました。(氏勝は1582年に足柄城の普請もしていました)
山中城といえばワッフルのような障子堀
山中城は、本丸を基点として放射状に分岐した3本の尾根を利用して曲輪が配置されている変則的な連郭式山城で、全体的にはU字になっています。
南西に延びる主尾根の中央に本丸があり、本丸から二ノ丸(北条丸)・元西櫓・西ノ丸・西櫓などの曲輪が配置され、本丸の北側の尾根には北ノ丸・ラオシバの各曲輪が配置されています。南西に延びる尾根には、三ノ丸・南櫓・岱崎出丸などが配置されており、1つ1つの曲輪は独立性の高い曲輪になっています。
山中城は足柄城と同様に城内に街道を取り込んでいます。箱根峠に向かう東海道を取り込む形で三ノ丸が配置されており、岱崎出丸は東海道に沿うように突出しています。山中城が街道を封鎖する関所のような役割であったと考えられています。
〇後北条氏の作戦
後北条氏が実際に立てた作戦はわかりません。ただ、豊臣軍の主力が東海道を進撃してくることが予想されるなか、山中城は両側が深い谷の尾根上にあるため、箱根に向けて街道を進んでくる豊臣先鋒は縦長の隊形で突入せざるを得ません。そこに火力を集中すれば攻撃側の数的優位を大きく減殺することができ、箱根突破を困難とさせて戦局を有利にし、膠着させるという作戦が想定されます。
※1
①岱崎出丸
岱崎出丸は2万400㎡と広い面積となっており、先端にはすり鉢曲輪、中央部には御馬場曲輪があります。東海道に沿って岱崎出丸があり、東海道を攻めてきた敵の側面を攻撃することができるようになっています。また、岱崎出丸を攻略しようと展開する敵を馬出となっている西櫓から出撃して背後を突くことも可能になっています。
岱崎出丸は北条氏勝の家臣の間宮康俊が守りました。松田康長と同様に康の字は北条氏康から与えられたものと考えられ、後世の系図類では当時73歳であったと伝えられています。
↑左奥がすり鉢曲輪で、右奥の高くなっている部分が見張り台になっています。すり鉢曲輪は岱崎出丸の最先端を守る曲輪で、中央部がへこんでいて土塁までゆるやかにたちあがっている様子から名付けられています。見張り台は土塁上の角を広げてつくられており、三島・沼津方面から韮山城まで見ることができます。
〇障子堀について
山中城の特徴として「障子堀」というものがあります。これは空堀の底に畝を障壁として掘り残したもので、後北条氏が多用しました。障子堀には、岱崎出丸や西櫓堀にあるような単列のものと、西ノ丸西堀にあるような複数列のものがあります。複数列の障子堀は、堀の中央に幅の広い畝を設け、中央の畝から両側に直角かつ交互に畝が延びています。
↑岱崎出丸の障子堀。ローム層を掘り下げて畝を残し、傾斜は70度前後となっていたため、堀底からすり鉢曲輪の土塁までは斜距離18~20m前後の急峻な勾配となっていました。
↑西ノ丸西堀の障子堀。障子の桟やワッフルと似ていますが、畝が交互に延びており、単純にまっすぐ進むことはできないようになっています。
「障子堀」の一区画の大きさは、長さ8~9m幅2m程度で、傾斜は約55度となっていました。堀の深さが9m以上あり、かつ地質がローム層で滑りやすいため素手でよじ登ることは困難でした。堀として敵の侵攻を阻害するだけでなく、敵を落下させ、畝によって動けない敵を曲輪から攻撃することもできました。
山中城の発掘により、障子堀の実態が解明されました。「障子堀」という名前は、堀を区画する畝を住宅の部屋を区画する障子に例えたとみられています。
②三ノ丸
三ノ丸は大きな1つの曲輪だと考えられていましたが、発掘調査で尾根を分割している堀や幅18m程の堀と曲輪同士を繋ぐ土橋が見つかっており、奥側にあった曲輪を二ノ丸(その場合、二ノ丸は北条丸としている)と見る向きもあります。※2
現在、三ノ丸には宗閑寺があります。豊臣との戦いで間宮康俊の一族は討ち死にしており、のちに徳川家康の側室となった康俊の娘が間宮一族の菩提を弔うことを願い、家康によって建立されたのが宗閑寺とされ、屋根には徳川家の葵の紋が飾られています。
宗閑寺には間宮一族の他に、山中城の戦いで亡くなった後北条方の松田康長や豊臣方の一柳直末などの墓があります。(写真左奥が間宮・松田、左手前が山中城武将、右奥が一柳の墓)
③箱井戸と田尻の池
箱井戸と田尻の池はともに貯水池であり、2つの池の間は土塁によって区切られ、排水路によって箱井戸の水が一段下がった田尻の池に流れるようになっています。これは水の腐敗などを防ぐ工夫と考えられ、箱井戸の水を飲料水としていたとみられます。(写真は箱井戸)
田尻の池の西側には馬舎と伝えられている場所があり、こちらは馬が水を飲んだり、馬の体を洗ったりするために使われたとみられています。
本丸と本丸を守る土塁・堀・橋
④本丸
本丸は標高578m、面積1740㎡で、2段の平坦面を持つ曲輪です。周囲は横堀(畝堀)で囲われ、南側を除いて土塁が築かれています。
↓2段のうち上にある本丸。左手の下にも平坦面があり、右手にあるのが本丸北側土塁です。
山中城の土塁の規模は、高さ1.8m程度であるものの、本丸北側の土塁は底幅15m、高さ4.5mと大きなものになっています。土塁は曲輪内の遮蔽するものによって高さを調整しており、本丸は馬に乗る大将がいることから、倍以上の高さを必要としたと考えられています。また、土塁の頂部には柱穴の跡が見つかっており、土塁の上に柵や塀が作られていたとみられています。
本丸と二ノ丸の間の本丸西堀は、土橋によって南北に分けられています。北側の堀止めの斜面には薬研堀(V字状)があり、その南側に箱堀がありました。堀底や堀壁が二段となっていたことから、修築が行われて一部薬研堀が残ったとみられます。土橋の南側(上の写真)は畝で8区画に分けられ、箱井戸の方へ続いており、堀底から本丸の土塁までは9mもあります。
⑤天守櫓跡・兵糧庫跡
本丸の北東側にある天守櫓跡は、山中城で一番高い標高586mにあります。一辺7.5mのほぼ方形で、盛土で50~70cmの高さに構築された天守台の上に櫓が建てられていたと推定されていますが、植樹の影響などで櫓の柱穴は発掘されていません。
↓天守櫓跡から見た本丸
本丸(下段)から一段下がったところには兵糧庫跡があり、ここには兵糧庫や弾薬庫があったと伝承されています。中央に幅50cm深さ20cmの排水溝のような溝があり、この溝で東西2つの区画に分けられていました。
西側から2m~2.2m間隔の列になった約20個の小さな穴が見つかっており、これは6.7m×8.7mの建物の柱穴と考えられています。周辺から出土した平らな石を礎石(下の写真)として使用したとみられています。
山中城で見つかっている建物跡は、兵糧庫跡の礎石建物、西櫓の掘立柱建物、元西櫓の礎石建物の3棟のみで、戦後の開墾などの影響で建物の遺構が破壊され、他に建物があったか確認できなくなってしまったようです。
⑤二ノ丸(北条丸)
二ノ丸は東西に延びる尾根を切って造られた広い曲輪で、狭い本丸の機能を分担したものと考えられています。北側に堀、西から北側にかけて土塁、北東隅に櫓台があります。また、隣り合っている本丸と元西櫓との間の堀には橋がありました。
↑本丸(左側)との間の橋で、土橋と木橋が組み合わさったものになっています。本丸側は掘り残した土橋で、途中から木橋となって二ノ丸に続いていますが、こうすることで二ノ丸から敵が侵入してきた場合、木橋を破壊することで本丸への侵入を防ぐことができます。
↑元西櫓(右側)との間の橋で、それぞれの曲輪の土塁の切れ目を結んだあたりの堀の中に橋脚穴が見つかり、4本柱の木橋と確認されました。橋脚の幅は南北4.3m東西1.7mで、柱の直径は30cm程でした。
山中城は土橋にする部分を計画的に掘り残したケースが多く、橋としての役割だけでなく、土橋の左右の水高を調整するダムの役割も兼ねていました。また、木橋の数と種類が多いのも山中城の特徴です。本丸と北ノ丸の間も木橋であり、木橋は土橋よりも簡単に破壊できて防御に有利なため、重要な曲輪には木橋も架けられていました。
今回はここまで!
山中城の特徴である「障子堀」を実際に見ると、復元された障子堀は圧巻でした!「ワッフルみたい」と有名ですが、敵を落下させて身動きが取れなくなったところを攻撃するという恐ろしい堀で、後北条氏が戦略的に城を築いていた様子が感じられました。
次回は北側と西側の曲輪についてと、豊臣方として山中城を攻めた武将の記録をもとに山中城の戦いを紹介します!
参考文献
『史跡山中城跡―北条流角馬出や障子堀が残る山城―』 三島市教育委員会、2002年
『三島市埋蔵文化財発掘調査報告ⅩⅩⅠ』三島市教育委員会、2017年
加藤理文・中井均編『静岡県の山城ベスト50を歩く』 サンライズ出版、2009年
中井均編『東海の名城を歩く 静岡編』 吉川弘文館、2020年
香川元太郎『日本の城』 ワン・パブリッシング、2021年
西股総生『東国武将たちの戦国史』 河出書房新社、2015年、※1)272~275頁
西股総生『戦国の軍隊』 学研パブリッシング、2012年、※2)奥の曲輪を二ノ丸、二ノ丸を北条丸と紹介しています。
下山治『後北条氏家臣団人名辞典』 東京堂出版、2006年
黒田基樹『敗者の日本史10小田原合戦と北条氏』 吉川弘文館、2013年
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