2021.03.31

お城へいざ参ろう!  町田の奥座敷の里山に幽玄とたたずむ遺構  小山田城支城 小野路城を探訪

 

 

鶴若まる
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みなさん、はじめまして。日本史が好きと言うことでこの記事を担当させていただくことになりました、事務職の”鶴若まる”です。よろしくお願いいたします。

 

兵たちの夢のあと

 

早速ですが、「小野路城」というお城をご存じですか?実は、BMW町田鶴川支店から車で10分程のところにあったお城です。

〇鎌倉時代

平安時代末期の1171年頃に、小山田有重が小山田城(小野路城から西へ直線距離で1.65㎞程)を築き、小野路城はその支城として築かれ、次男である重義が配置されたといいます。小山田氏は源頼朝のもとで武功を挙げた有力な一族でしたが、1205年の「畠山重忠の乱」によって没落します。

 

鶴若まる
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鎌倉時代の小山田一族と「畠山重忠の乱」については、第3城小沢城前編で詳しく紹介しています!

 

その後、小山田氏の所領であった小山田庄は北条得宗家(北条氏の本家)の所領になったとみられており、小野路城がどのようになったかはわかりません。ただ、畠山重忠の乱後も重義が有重の館に幽栖していたといわれていたり、1227年に五男の行重が父有重の菩提を弔うために高昌寺(現在大泉寺の境内を小山田城と呼んでおり、その大泉寺の当初の寺号)を建立したと伝えられています。

 

〇室町時代

室町時代になると、小山田庄は扇谷上杉氏一族の所領となります。1476年に起きた長尾景春の乱の際は小山田上杉朝長の所領で、史料には「小山田」に扇谷上杉方が拠点を構えたとあります。扇谷上杉氏の家宰で乱の鎮圧に努めた太田道灌の江戸城と、相模方面の扇谷上杉軍の連携を確保するために、小山田に拠点を構えたとみられています。

鶴若まる
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長尾景春の乱については、第6城小机城前編で詳しく紹介しています!

 

*1477年3月頃 長尾景春方に攻められ、小山田の拠点が攻め落とされる

3月18日に山内・扇谷上杉方が景春方の2つの城(溝呂木城・小磯城)を攻略し、続いて小沢城(神奈川県愛甲郡)の攻略を進めました。すると景春方は小沢城を助けるため進軍し、府中に陣を張ると、南下して扇谷上杉方の拠点であった小山田を攻め落としました。

→扇谷上杉方が拠点を構えて落城した「小山田」は「小山田城」を指し、記録には残っていませんが「小野路城」も攻め落とされたと考えられています。ただ、鎌倉街道の宿があったことや、尾根道の結節点であることから、「小山田」は小野路城を指すとも考えられるそうです。※1

 

〇戦国時代

落城後、小野路城がどうなったか史料に残されていませんが、小野路城周辺地域は主要街道がいくつも通る軍事的・経済的に重要な地点であることから、戦国大名の後北条氏も小野路城を使用したとも考えられています。町田のなかでも特に周辺地域に北条氏照(4代当主氏政の弟)の書状が残されていることや、周辺地域と氏照を結ぶ家臣や地名の存在などから、小野路城は氏照の居城である滝山城もしくは八王子城の支城として、氏照の家臣が在番していた可能性が指摘されています※2

 

鶴若まるおすすめの歩き方

 

現在は建物は残っておらず、一見ただの山なのですが、城があった「痕跡」は残っています。

小野路城へ向かう道は舗装されていないため、運動靴必須です👟

万松寺谷戸 ↓この辺りに小野路城の主郭(しゅかく:中核部分)がありました。

鶴若まるのおすすめの歩き方は…
『東京都の中世城郭』という本には、縄張図(なわばりず:遺構をもとに作成した城の見取り図)や復元図が載っています。これを見ながら歩くと、ただの土が盛られているところが土塁(どるい:土の城壁)、溝が堀切(ほりきり:敵の侵入を防ぐために山の尾根を切断したもの)だとわかります。

下の地図は『東京都の中世城郭』にある図をもとに、私が書いてみたものです。(下手な地図ですみません…)

➀最初の写真の右側から左側へ、30分程歩くと主郭の裏側に到着します。

今はまっすぐな道になっていますが、実はここに堀切がありました。

敵が簡単に主郭に攻めてこないように、深い溝を掘って渡れないようにしていました。
堀切がつくられたということは、歩いてきた方向から敵が攻めてくることを想定していたようです。

➁から見た写真

写真だと伝わりにくいですが、左側に歩いてきた道があり、そのすぐ横はこのように谷になっています。
通ってきた道は谷を埋めて作られているのです。

縄張図や復元図を見て、実際の地形を見てみると「こういうことか!」と理解することができ、昔の姿を想像することもできるので面白いですよ😊

伝説の井戸

この写真を撮影した場所には、世界三大美女ともいわれる小野小町が病を治したという伝説が残る「小野井戸」があります!
実際には城の重要な飲料用水になっていたと考えられています。

➂主郭は横堀と土塁で囲われており、下を見てみると、かなりの傾斜になっています。

守る側は、下を通っている敵や登ってくる敵を上から弓矢などで攻撃します!
壁のようになっているため、下からの攻撃から自分の身を守ることもできます。

➃やっと来ました主郭の正面!現在は神社が建てられています。

ここにも簡単に侵入できないように堀があったため、現在も正面から入るには坂を登らなくてはなりません。
実際に登ってみると、傾斜がきつく、さらにとても滑りやすく大変でした…

 

訪れ方

駐車場は数カ所ありますが、今回のルートであれば、小野路宿里山交流館の前にある駐車場がおすすめです!

ちなみに、BMW町田鶴川支店から駐車場までは…
店舗から左折で出て、綾部原トンネルを抜けます。
小野路の交差点で左折し、道なりにまっすぐ1㎞程進むと到着です!

お帰りにはぜひ小野路宿里山交流館でゆっくりされてはいかがでしょうか。
お食事もできますよ。
鶴若まるおススメは小野路産の地粉を100%使用した小野路うどん(560円)です。

小野路宿里山交流館

 

まとめ

12月に行ったときには、美しい紅葉が✨

小野路城、いかかでしたか?
意外とわかりやすく城の痕跡が残っていて、山城の魅力を知るにはぴったりです!
お出かけできるようになったら、ぜひ散策してみてくださいね!

鶴若まる
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第2城も取材中です
お楽しみに!

参考

『日本城郭大系第5巻』 新人物往来社、1979年

『町田市史上巻』 町田市史編纂委員会、1974年

『東京都の中世城館主要城館編』 東京都教育委員会、2006年、※1)96頁

丸島和洋 『郡内小山田氏』 戎光祥出版、2013年

黒田基樹『太田道灌と長尾景春』 戎光祥出版、2020年

河合敦「小野路城について」『町田地方史研究第9号』町田地方史研究会、1993年、※2)22~24頁

 

 

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Writerこの記事をかいた人

鶴若まる

鶴若まる

BMW所属の事務員、歴史学科を専攻し三度のフラペチーノより城郭が好きという強者。大好きな城は小谷城とのコメントからもうかがえるように,もはや後戻りできない戦国山城女子

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